「設定厨」が蔑称として扱われていることに驚いた話【コラム】

きっかけは少し前の記事で「冥王様が通るのですよ!」というなろう小説を評する時に「設定厨も大歓喜の作品」という文言を使うかどうか迷ったこと。
最近「設定厨」という言葉を聞かないので、ネットで調べてみたんですね。

そうしたら「設定厨とは蔑称」という扱いで説明されていました。


自分は蔑称とは思っていなかったので、ほんと驚きました。

かつての設定厨



かつて「設定厨」と言えば、「創作家の中で設定を考えることを特に好んで深掘りする人」、というイメージでした。
どちらかというと、「すごい練った設定考えるよね!」という、(多少の呆れはあるものの)称賛気味の意味合いだったように思えますが、昨今では蔑称と扱われているらしいです(そもそもそこが勘違いだったらすいません)。
当時TRPGのゲームマスターをよくやってた友人のU氏に対し、「設定厨だよね~」とか言ってた気がしますが、蔑称的な意味合いはなかったはず。
自分に使う場合も、自虐ではなくどちらかというと自慢の割合が強かったように思えます。

設定厨の王様

私の中の設定厨の王様と言えば手塚治虫氏です。
鉄腕アトムをはじめ、さすがに世代は自分ともかなり違うのですが、子供の頃に「火の鳥 宇宙編」のアニメを見た時に、「こんな凝った設定を考えることが出来るのはさすが手塚治虫!」と思ったのを覚えています。

「火の鳥 宇宙編」はほんと凝った設定の話だったと思います、もううろ覚えになってしまっていますが。
もちろん漫画・アニメ・小説に関しても当時はまだ「テンプレ」等がなく「いかにユニークで面白い設定を作れるか?」というのは創作家にとっての優れた能力の一つだったように思えます。

設定厨の作者が生み出した作品

例えば、一部のオタクに持てはやされた「ファイブスター物語(F.S.S.)」という漫画がありました。
登場人物が巻毎に異なり、話は年代順序がバラバラ、漫画なのに後半は設定資料集+年表になっていたりと、今なら「これは漫画なのか?」と言われそうな本でしたが、間違いなく作者の永野護氏は重度の「設定厨」でした。
特に未発表部分含む年表とか、ある意味プロット部分の公開なので空前絶後と言ってもいいかも。

私もかなり読み込み、年表とかまで細かく読んだのを覚えていますがあまりに続刊の発売が遅くて、(難解な話を忘れてしまうので)いつからか読まなくなってしまいましたが、印象深い作品なのは確かです。

ちなみにF.S.Sは第1巻が1987年発売、第17巻が2023年発売らしいです。
2年に1巻ほど…とはいえまだ続刊してたことに驚いています。
現役漫画ではNO.1の設定厨作品かもしれません(誉め言葉)。

ここまで凝ったものではなくとも、優れた創作物(漫画・小説・アニメ)と凝った設定はかつてはある程度相関関係があったように思えます。
有名処では「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野監督
最近の作品(というほど新しくないですが)だと「進撃の巨人」の諫山氏も「設定厨」と言えると思います。

「設定」の重要性が変わってきた

最近は漫画を読むことはあまりないのですが、ラノベはちょこちょこ読んでいます。
以前はライトノベルやゲームでも面白い設定を考えるのは大事でした

もちろん今でも、転生・転移以外の物語を作る場合は設定構築は重要なプロセスだと思います。

なぜこの「設定厨」というのが蔑称になっているのか考えてみると、上でも述べた「転生・転移」によるラノベ席捲問題があるように思えます。

なぜ「転生・転移」のラノベが流行ったのか?というと、
創作者が設定を作らなくていい=素人でも参入しやすい=母数が増える
というのはかなり大きなポイントになっていると思います。
母数が増えるということは、読者が慣れ親しむことに繋がり、それ以外が淘汰されて行っているのがなろう原作ラノベの現状。

なろう作品は「テンプレ」という免罪符でパクり文化が許容されているのが他の創作物と異なるところで、似た創作物がコピーされる下地になっています。
もし、web小説として発表する前に出版社にプロットを持って行った場合、ほとんどのなろう系小説は(ありきたりすぎるという意味で)NGになってしまうと思うんですよね。
現実問題として、そういう「ありきたりのテンプレ小説」がヒットしちゃったりしてるわけで、今はもう作品プロットでその作品の良しあしを判断する時代ではなくなっているのかもしれません。

例えば「パーティ追放もう遅い系」「婚約破棄系」とかすごい勢いで増殖していて元祖がどれだったのかすら分からない状態。
どちらも物語の第1文で「(追放文言)or(婚約破棄文言)」セリフスタートというのが一つの特徴で、「そこまで似せなくても…」という気もしますが、これは「これから〇〇というテンプレの物語が始まります。」という読者への注意喚起にもなっているわけです。

似たような物語というのが今のなろう読者にとっては「安心感」に繋がっている反面、なろう系に慣れていない人にとっては「パクリ作品ばっかり」と言ったレッテルに繋がって敬遠される原因になる面も。


横道にそれますが、ラノベ界で流行になってる「タイトルが文章系作品」が一般漫画には波及していないのは何故か?という点は不思議。
読んでる層はそこまで変わらないはずなのに、漫画タイトルはシンプルなのが多いのは何故なんでしょうね?
一説にはweb媒体での発表を考え、誤クリックを狙ってクリック対象範囲を増やすという目的というのは聞いたことはありますが、本当にそうなのでしょうか?

そのうちこの「タイトルが文章系作品」が廃れる日が来るのか?それとも「漫画」や「一般文芸」タイトルもこうなっていくのか?

一番の原因は同じような「設定」で書かれる「なろう系」の台頭か?

最近は設定どころか、主人公の名前とかすら適当でも、ある程度評価が付けば書籍化できる流れが出来ています。
(凝った設定の有無が)どっちでもいいのであれば、設定考えずにすむ方が書きやすいという人は多いでしょう。

・主人公はしがらみなしの0スタートが普通なので物語開始前の設定を考えずにすむ。
・世界感はテンプレを流用すれば設定&説明せずにすむ。
・専門用語もテンプレを使えば設定&説明はいらない(冒険者ギルドとか、各種チートスキルとか)。


一方で「物語が始まる前の主人公の経歴」というのは、作品を作る上で大きな武器にすることもできます。
例えば最近話題のアニメ「葬送のフリーレン」ではその強みが最大限に生かされていました。
「転移・転生」アニメでは、設定する手間がかからない代わりに、武器としても使えないということになります。

異世界転移・転生でもきちんと世界観の設定を作ってる作品と言えば、例えば小野不由美先生の「十二国記」が思い浮かびます。
人が卵果から生まれ、王が正道を外れると麒麟に見放され死んでしまうという世界。
言語に関しても主人公はある理由から困らないですが、中には困る人もいて物語に深みを与えるエピソードとしてきちんと使われていました。
こういう「変な」設定を入れるのは最近は敬遠される傾向にある気がします。

読む方も難しい設定を敬遠するように

それは「未知の知識を小説で読み取るのに労力がかかるから」なのかなと思います。
ゲームでいうと、まったく新しい「ストラテジーゲームのルールを1から覚えるのが大変でエネルギーがかかる」というのに近いかもしれませんね。
自分もゲームの説明書とかはあまり読まないほうなんですが(笑)

未知の知識のない物語を安心して読みたい

という層がラノベ読者のメイン層になった昨今、「設定厨」ということばが蔑称として扱われるようになったのかもしれませんね。
物語が始まって、最初に舞台の説明から入るというのはあまりみなくなりました。

ここまで書いて、冒頭で少し話した「冥王様が通るのですよ!」が「なろう作品」としてはヒットしなかった(まだわからないけど!)理由が少しわかってしまったかも。
作者さんが途中のあとがきで記載していた「こうやってナーロッパは作るんだよ!」というのは個人的にすごく印象に残る言葉。
※「ナーロッパ」とはなろう系でよく使われてる中世風の魔法のテンプレ世界のミーム


現代の「設定厨」は極端な人を示す?

上記のような流れがあり、今では「設定厨」というのが、ストーリーをないがしろにする人という意味も追加されていったように思えます。

設定以外をないがしろにしていいとは言いませんが、「設定厨」が蔑称として扱われるのは少し寂しいですし、創作を生業(なりわい)にしてる方には「設定を考える能力」も磨いて欲しいので、「設定を細かく考えること=悪」という風潮は未来の名作を生む土壌を奪いかねない気がします。


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